山と山に囲まれた一本道を、一人のお坊さんがとぼとぼと歩いて行きます。その道は、やっと荷車を引いて通れるほどの狭い砂利道でした。

その頃、雁曽礼までの道すじは、とてもけわしく、林の繁った所を「大木」と言って、山ぞくに身ぐるみはがされたりすることもありました。

「長い長い道じゃのう」

お坊さんは、そうつぶやきながらあたりを見回していると、何ともなつかしい香りがただよってきました。ほのかな香りは、まるで母さまを思い出すようです。

お坊さんは、その香りをたよりに藤蔓でからめた丸太橋を渡り、山の中腹まで来ると、急に、辺りが明るくなりました。大きな屏風の様な岩が二面立ちはだかっております。岩の下の方を見ると、湯煙が立ちこめ、岩が黄ばんでいます。

「おう、これはいおうの匂いじゃ」

手であおぎながら、お坊さんは、その香りを夢中になって吸いこみました。

「何とありがたい。極楽へでも行った気分じゃわい」

温泉につかったあと、お坊さんは、さっそくナタを取り出して、仏像を刻みました。

カッツ、コッツ、ナタの音は四方の山々にこだまし響きました。

ひと息つくと、小鳥の声が聞こえます。耳をすますと、かすかに、せせらぎの音も聞こえます。

お坊さんは、谷川の淵で野菜を洗っている一人の美しい女の人に出会いました。

「あら、お坊さま、お早うさんでごぜえます水汲みでごぜえますかえ」

円空さんは、その女の人の美しさにみとれてしまいました。

その女の人は、近所の一軒家に住む、お里さんでした。お里さんもまた、ひと目でこのお坊さんが好きになりました。

「家は、すぐ近くじゃが、お茶でも一服どうじゃな」

「そりゃまあ、すまんこって」

お坊さんは、お里さんの言葉にふらふらついて行きました。

入り口にある囲炉裏にたき木をくべたら、じきにあたたかくなりました。暖をとる温みはお坊さんの心をほっこりあたためました。里芋が黒くこげていい匂いがします。

「ひとつ、よばれてええかな」

「まあ、そんなものでよかったら、いくらでも喰うて下され」

二人は、顔を見合わせて笑いました。それからというもの、お里さんとお坊さんは度々逢う瀬を重ねて仲むつまじさが増していきました。

「今日は、わたしも、ちょっくら山へ登りとうなりましたわな」

お里さんが言うので、お坊さんは、手ごろな曲がり木を肩にかけ、お里さんの手をその棒につかまらせて、温泉のある山の仕事場へ案内しました。

お里さんは、初めて見る光景に見とれてしまいました。

「これは、温泉と言う湯のもとですなも」

温かい湯の溜まり場を作り、それから何度も訪れ湯浴びをしました。おむすびをほおばりながら、よもやま話を語り合う楽しい時がしばらく続きました。

月日は流れ、お坊さんの彫った何体もの仏像がずらりと並びました。その面影は、どれもお里さんの顔によく似ていました。