雁曽礼の白山神社におまつりしてある神様は、その昔、加賀の白山からおむかえした女の神様である。

白山神社は、堂ヶ谷内の川向こう三ツ瀬という所におまつりしてあった。

「また、今日も村の者が前の道をくさいものを持って通るのう。気持ちの悪いにおいじゃ、こんな所には住みとうないわ」

女の神様は、たいそう腹を立てられた。

「すまんことやけど肥をまかんことには畑の作り物はできんしなあ」

村の人たちは、ほとほと困って相談した。

「そうや、奥山の外輪に入ってもらおう。あそこなら畑もないし、肥桶かついで通る者もおらん」

深い山の中の外輪に新しい宝殿を造り、三ッ瀬から女の神様を移した。ところが、外輪から遠くなってしまった堂ヶ谷内の人たちは怒った。

「白山神社があんなに遠くなってはおまいりもできやせん」

そこで、となり村の武儀倉にたのんで武儀倉の天神様をおまつりすることになった。

この時から堂ヶ谷内の人たちには、ちょっと困ったことが起きた。

雁曽礼の話し合いには、堂ヶ谷内も仲間であったが、白山神社の話になると、

「これからは、祭りの笛や太鼓の役割やで堂ヶ谷内の人は、えんりょしてもらえんかな」

武儀倉の人たちからは、

「これからは、武儀倉の大事な話やで堂ヶ谷内の人は、えんりょしてもらえんかな」

どちらからも村八分となってしまった。

そのうち、

「堂ヶ谷内の人らは、どっちにもつかず、ようもうまいことやっていけるもんやな」

『どっちつかずの堂ヶ谷内』と、奇妙な呼び名がついてしまった。

それから何年かが過ぎた。

雁曽礼の三人の百姓が、ある晩おんなじ夢を見た。

「こんなさびしい山の奥に、もうおりとうない、これからは決して村の人たちの仕事をきらいはせん」

女の神様のおつげであった。

村の人たちは、新しい神社を造り奥山から女の神様を中屋敷へ移した。

しかし、堂ヶ谷内の人たちは、天神様のおつきあいも大切に思いおまつりした。年五回の天神様の祭りに、若い衆は、楽を習い笙や鉦鼓で、「越天楽」の演奏を奉納した。

当元の家から天神様まで道の両脇には榊で道しるべが立った。衣装をととのえ、供物の入った神せんびつを肩にかついで太鼓をならし清められた道を神社まで運んだ。

堂ヶ谷内の当元の年は、なにもかも豊作やと言われるようになった。が「どっちつかずの堂ヶ谷内」という呼び名はそのままであった。

「あの奇妙な『どっちつかず』のままでは、堂ヶ谷内の人たちが気の毒やないかな」

話し合いがされ、堂ヶ谷内の人たちは、大矢洞の森をおみやげにして雁曽礼の人たちと白山神社をおまつりすることになった。

こうして『どっちつかずの堂ヶ谷内』の汚名は返上された。

毎年、秋祭りには、五穀感謝祭が盛大に行なわれる。