玉さ橋 (大洞)|武儀町のむかし話
「おうい。夕んベの雨で橋の一部が流されたぞう」
「どえらい、やられてしまったぞ」
村の者は、一目散にかけ橋に向かって走って行きます。ここは、大洞と一柳をつなぐ大切な橋です。
直径三尺程(一メートル)の大籠を編み、石をいっぱい詰める人。山から丸太を切り出して二本を藤づるで絡げる人。それぞれを手分けして橋の修理にかかりました。
しかし、いざ大雨が降ると、橋はたびたび損害を受けました。
それが、年に一度でなく何回もやられては、たまったものではありません。その上、作業中に大怪我をする人も後を絶ちませんでした。
「安さが、さびた釘で手をさし、毒がまわって指を切らなんそうじゃ」
「平さが、大石を持ち上げ籠に入れる時、腰を痛めて寝込んだらしい」
村人の難儀があとをたちませんでした。
その頃、地元の大工、河合玉一郎は、何とかして釣橋にできないものかと考えるようになりました。しかし、何度みんなに呼びかけても誰も相手にしてくれません。
それどころか、
「貧乏のくせにそんな大それたことができるはずがないわ」
とかげ口をささやく者さえありました。
しかし、村のためを思う玉一郎の決心は募るばかりです。
「何としても釣橋を完成させてみせる・・・」
とうとう一人で栗の木を買い集めて、軒下で刻み始めました。
「玉一郎が橋を架けるといっとるが、どんな事(こと)をしておるんじゃろう」
仕事場を覗く者はいても、ひやかし半分で進んで手伝おうとする者はいませんでした。
それから二年あまりの歳月が流れました。
ある日、ボロボロの仕事着で玉一郎が、区長の家を訪れ玄関先で倒れこみました。
「橋が刻めたから人足を出してくれ」
驚いた区長が現場へ行ってみると、真新しい橋材に金物まで取りつけてありました。
近くの作業場には、飲まず食わずで働いた家族全員が瀕死の状態でへたりこんでいました。
「いつの間にこれほどの仕事をやったんじゃ」
区長は大急ぎで村人を集め釣橋作りを手伝うように話しました。そしてほどなく橋は完成し、玉一郎の名を取ってこの橋を「玉さ橋」と呼ぶようになりました。
昭和三十五年には、土地改良工事で、この橋が鉄骨釣橋で造られました。その時「玉一橋」と名付けられました。
その後、昭和四十五年には、町道に昇格して、巾三メートルの永久橋となって橋の名前はそのまま残されました。
昭和六十二年、主要地方道バイバスが決定地と重なって撤去される事になり、そこに架かった二車線の大橋が改めて『一柳玉橋』と名付けられました。いずれも玉の字が入っていることから、河合玉一郎の業績をたたえ、今に伝えているのです。