今から八百年ほど前の事です。

源頼朝という武将は、朝廷の力を押さえるために人質を取ることも一種の兵法と考えていました。

京へ上る道中、人質に取った公卿の集団を同道して、平成の地へさしかかった時のことです。全員心身ともに疲れたうえ、兵糧も底を尽き始めておりました。武士たちは身を守るためにも人質が邪魔になりはじめました。

武士たちの表情に殺気を感じ始めた公卿たちは、とうとう悲鳴をあげました。

「命だけは助けてたもれ、何としてでも京の地へ辿り着きたい」
「わらわは、もう一歩たりとも歩けませぬ」

公卿たちのその様子に、あおりを受け、血気にはやった武士たちは、容赦なく首を刎ね亡骸を山の麓に埋めました。

その後、その山を『高曝山』と呼ぶようになりました。

古文書の調べ書きには、『この地はこわい土地』とだけ記されております。

このようにして、源頼朝は、天下を取るため手段を選ばず多くの人を殺害しました。

しかし、その果てには、次々と亡霊が枕辺に現れ怯え続けたのです。

妻の北条政子は、『亡霊供養』のため、その後、高曝山のど真ん中に大護摩台を作り、火を点じ祈り続けたのでした。

長い長い時を経てその地に『平成の世』が誕生しました。

実は、このあたりに同じ字の平成という地名があったのです。早急に手が加えられ、またたく間に立派な自然公園となりました。

そこは、清らかな水の流れる川ではしゃぐ子、ログハウスでたむろする、老若男女 。遊園地でボール遊びを満喫する親子、それは楽しい風景でした。

「平成の世」 も、今、二十六年の暮、最近ではこの地を訪れる人もめっきり少なくなり森閑とした山野には時折、小鳥の声が聞こえています。

 

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団体名 NPO法人日本平成村
住所 岐阜県関市富之保2001番地1 武儀生涯学習センター内
電話番号 0575-49-2855
担当者 事務局長 可児(かに)
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