子どものころの思い出(間吹)|武儀の語り草 -昭和・平成編-
「おうい、蛇じゃ蛇じゃ」
遊びに夢中だった悪ガキどもが集まって来る。
「こりゃマムシや。背中がウロコがらや」
「トグロ巻いてシッポ振っとる」
「鎌首上げたで飛びつくぞ。かまれたら大変や」
敏君が先頭に立って、めっちゃめっちゃに棒を振りまわしてたたいている。
「まず、頭をつぶせ」
ぐったりしたところで、首を草で棒にくくり、一目散(いちもくさん)に家へ向かって走った。
「 おっ父。マムシ捕まえたぞ」
「何?マムシ。ほんとじゃ、ようつかまえたな」
おっ父は、首に鎌で切れ目を入れて皮を剥いだ。あぶると、油がジュージューと出た。五人の子どもで分けて食ったがうまかった。
数日後、大きな蛙を捕まえた。方言でヒキダと呼ばれている。焼いて喰うとこれもうまかった。
山仕事から帰ると、必ずと言ってよいほどおっ父は、鉄砲虫を取って来る。木肌に細かい粉が着いた場所の皮を剥ぐと、親指くらいの虫がいる。
焼いて食うとそりゃウナギよりも、つぼよりもええ味やった。その頃マムシや蛙や虫などが、動物性のタンパク源として貴重な食べ物やった。
その頃の子どもの遊び場は、川原や草原が多かった。木の棒を振りまわしてチャンバラごっこに夢中になったもんや。疲れると砂地に座りこんで草の根を掘った。
白い根を噛むと甘い汁が出るのでガウガウと必死で噛んだ。その頃、砂糖など食べたことがなかったので、本当に甘かった。アゴがだるかった。
ひと休みすると川の水めがけて石を投げた。
「ボール。ストライク、、、」と口走る。
誰かが言った。
「カタカナ語言うとあかんぞ。警察が聞くと『敵国の言葉や 』と言って引っぱられる」
戦争中は言葉も安気に言えなんだ。
「ゆんべおっ母が涙流しとったぞ。嫁入りの時のカンザシやクシに金が張ってあったのは、みんな没収されたんじゃ」
おっ父が言った。
「隠しときゃわからへんにな」
「おっ母は正直者やでなぁ」
こうして没収された物は、貴金属は勿論、金物類は何でも、飛行機や船の材料にされた。
また、農繁期になると、一週間ほど学校が休みになる。手伝いは当然とされていた。だから、大人の仕事はほとんど身についた。
「あしたは、おらあ田んぼかきや」
「トボトボ歩くのえらいぞ。牛の鼻とり(牛の鼻カンにつなと棒をつけて、田んぼの中を引っぱって歩く。)で、どえらい力がいるんや」
「お前んとこ、田んぼがたんとあるで大変やなぁ」
その頃は、子どもが家の手伝いをするのは当然やった。もちろん駄賃もない。
『欲しがりません勝つまでは』
これは、その頃戦時中の合言葉やった。苦しくても歯を食いしばって頑張った。
私は、人生半ば過ぎて、左半身マヒの病魔に犯されたが、『忍耐の精神が私を救った、負けてたまるか』と今も日夜、頑張って生きている。
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| 担当者 | 事務局長 可児(かに) |