①雛僧の思い出

私は、昭和十五年二月、滋賀県の永源寺派の末寺で、四人兄弟の三男として生まれました。

弊師(父親)が四十歳の時の子で、小学校の頃には、とにかくビシビシとやられました。

父も和尚としてだんだん一人前になってきた頃、親として子どもを育てるのも三人目やから慣れてきて、丁度仕込む相手に適しておったんですね。

三番目やから跡継ぎの期待もない。嫌なら坊主にならんでもよい、というわけです。

父は尋常小学校を出て、信玄袋一つかついで、師匠の元へ小僧にきたという人です。自分がやられてきたことを、まったくその通りに私にやりましたね。そやから子どもの頃は、この人は私の親やないとさえ思ったときもありました。

偉かったのは母ですね。

私が叩かれて泣いていようが、一切何も言わなかった。口出しも、助け船も出さない。ただ黙ってうつむいて繕いものをしていました。

あの時ちょっとでも私を助けたり、かばってくれていたとしたら、現在の私はなかったと、今でも思い出されて涙が出ます。

中学二年の夏。

お盆前に庭の草を引いているときに「今、草引きしているのは父親のためにしているんやない。寺のためにしているんでもない。自分のために、この、草を引いているんや」と、気づかされました。

それからは掃除が面白かったですね。万事この父に言われる前に、先にやろうという調子で、師匠に仕える小僧を楽しんでやれるようになりました。

その父も今年十三回忌をいたしました。しかしまだ父の私への躾、教育を終わっていないということです。

私にはもう孫もおりますが、まだ厳然として父の躾が続いているのですね。

父の師匠としての躾。教育が終わるときというのは、私が何歳かで天寿を全うして満足して死ぬときです。

『私はあの母の元に生まれ、あの父に育てられて良かった。ありがたかった』と思えた時、やっと父の私への教育が終わったことになると思うのです。だから躾とは、その子がいかに満足して死ぬかということで、教育は百年先を見なければいけないということはこのことなのです。

 

②子どもたちとの出会い

永源寺で雲水としてお世話になり、また大学で宗教学を勉強しているうちに「これからの宗教家は、法事だけをしていてはあかん。生きている人間を救わなあかん 」などと、生意気なことを思う時期がありました。

生きている人間、しかも「子ども」を救ってやりたいという気持ちにかられて、京都で塾を開いたのです。

この塾は勉強だけを教えるのではなく、春休みや夏休みにはキャンプで飯盒炊爨をしたり、映画を観に行ったり、スケートや写生会と、子ども達と一緒になって遊ぶことから始めました。

今ほど塾、塾と言わん昭和四十年頃でしたから、物凄い反響で、たくさんの子ども達がやってきました。

部屋の中ではワアワア騒いでいますが、入口の履物だけはキチンと揃えて上がらせました。

時々母親が子どもを迎えに来たときに、玄関を開けると小さな靴がビシーッと並んでいるんですね。

後から来た子が、ちょっと乱れている友達の靴を揃えて上がっていくのを見て、

「ここは凄い」と驚いたらしいです。

勉強なんてそんなに一生懸命教えなくても、やることさえやれば成績はあがりましたね。

ここでは、実にいろいろな子どもを預かりました。

自閉症で一分間もじっと立っていられない子。父子家庭の子、母子家庭の子。そして大半が共働きの家庭の子でした。家に父親がいても父親不在の子が多かったです。

ある年に左利きの女の子を三人あずかりました。右利きにしてほしいという親の願いから、この子に『けん玉』を右手で遊ばせたのです。

するといつのまにか右手も左手も使えるようになった。字さえ満足に書けなかった子は一字一字しっかり書けるようになった。嫌いだった宿題もすすんでやるようになりました。

子ども達とキャンプに行って同じテントで寝たり、スケートで転んだりしながら一緒になって遊んでいるうちに、子ども達は少しずつ心を開いてくれるようになったのです。

子ども達と話をするキッカケ、心の中に飛び込むキッカケが『けん玉』だったのです。けん玉で遊ぶことで、ただ上手になるだけでなく、自分の手で自分がやらなければならないことを「からだ」で覚えていくのです。

そして、けん玉を通じて子どもなりに何か気づいてくれるのです。三か月もすると目の輝きが変わってきます。口元までがしまってきますね。けん玉のワザにけんの大小の皿に失敗せずに玉を何回のせ続けられるか?という競技があります。

これを小学四年生で四万回、連続して実に四時間出来る子がいます。もちろん日本一ですが、テレビのインタビューで「何回目くらいがしんどかったですか?」と聞かれて、この子は「最初の一回目や」と言ったんです。最初の一回目で失敗したらそれで終わり、十回目も千回目もあらしません。まして四万回なんてある筈がない。

「この一回、今の一回が続くようにと思っているだけや」とはっきり答えましたよ。『たかがけん玉、されどけん玉』です。

 

③けん玉和尚遊びの教化

少しばかりけん玉で有名になったおかげで、北海道から沖縄までいろんな所へ寄せていただいております。

その中で病院に長期入院している子ども達や養護施設の子ども達とも交流を持たせていただいています。

病院に長期入院している子ども達は、情緒が不安定になったり、「かわいそう」と親ができるだけ子どもの言うことを聞くものだから、どうしても過保護になりがちなんですね。

そんな子ども達とレク・ゲームをして遊んだり、けん玉で遊ぶうちに、自分でしなければならないことを体で覚えてくれるんです。

病気を治すことも大事だけれど、入院している期間でも人間として成長しているわけですから・・。

そんな折り、突然ふってわいたように、天正寺に来てくれないかというお話をいただきました。しかし、子どもは大きくなっているし、寺は荒れているし、正直たいへん迷いました。

当時、中学一年生の息子にいきさつをすべて話しましたら『初めは嫌だと思っていたけれど、正眼寺の耕月老師さまがお父さんにと、紹介されたのも、お父さんならその寺をなんとか立て直すだろうと思って言われたのだから、僕は耕月老師の恩義に報いる』と言ってくれたのです。

そうしてこの天正寺に入寺してからも法務のかたわら、できる限り施設や子ども病院を訪ねています。

これからの宗教は寺に座っていてはいけない。歩かなあかんと思うのです。

私が歩く一挙手一投足が坊さんなんです。

遊びに行くときは背広、法事に行くときは法衣でないといけないのです。

車を運転しているときも、蕎麦を食べているときも和尚じゃないといけない。

いつどんな時でも和尚が歩いているのだと自覚を忘れないように生きていきたいと思っています。

 

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