当時、太平洋戦争のまっただ中、男はほとんどが赤紙一枚で戦地へ駆り出された時代である。

嫁いだ先は、兄弟三人の長男の家だった。間もなく弟たちは出征し、日浅くして次々と戦死の広報が入った。

その後、床についていた夫までもが、結核で他界した。幼少の頃、両親を結核で亡くし、再び、嫁ぎ先で同じ苦しみに出会い、そのはかなさに泣いた。

「これから先、どう生きて行ったらよいか」

と案じ、何も手につかなかった。そんな時、

「家屋敷、田畑を買い取ってもええが」

という人に心を動かされて、全財産を処分してその地を去った。

子ども連れで実家へ帰ったものの、子どもの多い叔父にも頼れず途方に暮れた。

ひたすら昔が懐かしい。我が家は入り口に太い木枠の囲炉裏のある家。

天井からコザル鈎に茶釜や小柄杓のかかった家。

囲炉裏の真ん中に半円型の網鉄器が置かれ、餅や芋がいっぱい並んでいた。回りを取り囲む懐かしい家族の顔が次々と浮かんで来る。

「お父っつあん、おっ母さん、二人の子を連れて帰って来たけど、これからどうやって養って行ったらええかわからん、助けとくれ」

途方にくれて泣いた。

そんな時、ある人の口添えで、「一文菓子屋」を開く決心をした。近所に店がなかったので、一日千円程の売り上げがあった。

当時男衆の土方仕事でも、日当四百円位が相場のご時世だった。二人の子連れで、店番をして収入が千円あれば、そのお金で三人はどうにか喰いつなぐことが出来た。

今日まで、生きて来れたのも、苦境に落ち込んだ時、そのたびごとに周りの方々の暖かい励ましがあったればこそと、つくづく感謝している。

思えば、昭和の世は、何度、死を覚悟した時があったろうか、平成の世が明けて、少しずつ明るい兆しが見え始め、今、幸せに生きている。

 

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担当者 事務局長 可児(かに)
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