救い上げられた釈迦誕生仏(大洞)|武儀の語り草 -昭和・平成編-
昭和三十一年二月十一日未明、満願寺本堂位牌堂、開山堂より出火、庫裡を含めて全焼した。けれども、本堂と渡り廊下でつながっていた阿弥陀堂は延焼をまぬがれた。
本堂は全焼して見る影もなく、ガレキの山となっており、焼け残った建物のまわりは持ち出された器物が散乱して、足の踏み場もなかった。その中に阿弥陀堂の大きな仏像が横たわっており、そのお姿は、手足が折れたりして見るも無残な状態であった。
満願寺 平成26年2月撮影百名余りの壇信徒の皆さんが朝早くより集まってくださっていたが、関警察署の現場検証が長引き、後始末の作業が、すぐには始まらなかった。この時、寺下の土屋光男氏の計らいで、御詠歌連中を集め、
「大勢による作業が始まらない今、大急ぎで投げ出されてこわれてしまっている仏様のカケラを、どんな小さなものも見逃さないようにして拾い集め、阿弥陀堂の片隅にまとめてほしい」と指示がなされた。
この指示がなければ大勢の人の出入りにより、多くの仏様のカケラはガレキとなって処理されていたであろう。おかげで現在のように復元できているのである。
又、光男氏は、誰も足を踏み入れないうちに、ご本尊様をおまつりしている須弥壇の位置を見極めて杭を打ち縄張りをされた。この区域を最後まで残すように標識を立て、せめてご本尊様の遺跡なりを残さねば・・・と決意された。どんなにまわりが騒いでいても、この場所は自分で納得のいくまで、丁寧に調べられたという。
自動車道がないために機械作業が出来ないのが幸いして、タケミ(竹で編んだ入れ物)で一杯一杯のガレキを、モッコ運搬へ引き渡して行く。
このような作業を数十回繰り返したが、ご本尊様とおぼしき遺跡は見当たらなかった。わずかに蓮華台の形を残す金属片と溶けて形を変えてしまった金属のかたまりを十個ほどしか収容できなかった。
悲嘆にくれる眼でもう一度、今掘り起こした地面を見直すと、これまで地面まで掘り下げたつもりの地表面に、まだ一枚の瓦が土中に埋没していた。割れ瓦の山積する中に、たった一枚だけ満足な瓦が地面へ食い込んでいた。
「珍しいこともあるものだ。一番火元に近いこんな所で、よくも割れずに残ったものだ・
・・」
光男氏は、独り言をつぶやきながらその瓦を掘り起こして、アッと驚きの声を上げられた。
すべての仏具金物を溶かしてしまった大火の中で、本体をすっぽり土に埋め、その上へ一枚の瓦がかぶさった釈迦誕生仏のお姿を発見されたのである。それは本当にすばらしい仏縁であった。
「ああ、勿体ない」
ふるえる手で救い上げた誕生仏は、光男氏が、幼き日、老僧のお手伝いをしながら花祭りをして甘茶をいただいた、あのお釈迦様だったのである。
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